きっつう
今日は目の調子が悪かったし、書く自信が無かったので書かずに過ごしました。一月中に仕上げるとかいうのは一体何処へ…。
しかし書かなければ書かないでもうつらいったらありゃしない。自己表現が途絶えると何かしなければならないという気持ちに苛まれてもう。書いてもつらい書かなくても辛いってあーだ、他になんか出来ることがるわけじゃなし。
そういえばNHKで性同一性障害の番組やってましたね。ああいうの見てると、頑張ってる人はええのうとも思うのですが、一体私はなんなんだと思ってしまったりもします。
私は男ですよー。でも女にもなりたいと思います。てか、時々何で女じゃないんだろう?とか真面目に思ってしまいます。が、あくまで「も」でして……男でいる必要もあるですよ。
なんていうか、男女が分化していく過程で、男だから、女だから、というのはいかんと思ったのがありまして、社会的な平等を善しとするのもありましたし。そこで、私の精神の発達障害的な、言われたとかこうしろとかいうところは愚直に守ってしまうのが反応しまして…男性性の発展を強く抑えて、女性性の部分をひっぱりだして……ってしてしまったようです。んなもんで、未分化なまま今に至る、みたいな。まぁ男として生きてきたので、そちらで生きる・人と接するのに違和感はないのですが、時折女性としての表現方法もあるだろーがとか思ってしまうわけですよ。
男のままでも女になってたとしても同一性は確保できないみたいな。ごみ箱のテキストにどっか書いたっけかな? 液体金属生物みたいな、姿を自由に変えてみたいものです。
心理臨床の勉強ではユングさんとか、女性性を精神の機能として統合して〜ってな話を聞いたような気がするのですが、なんかそれだけじゃ足りない感じも……こう、すごくつまらないような日常の一こまにいくつだって表現の方法があるというか…私が持ちうるパターンを全て演じてみたいというか。よーわかりませんが。
一体私はなんなんでしょうね? 答えは簡単、私は私。男だの女だの、人間だの生物だのである前に私という立ち位置を確保しないと、なんかいろんなところがおかしくなってしまいますので…。
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