連続絞殺事件考察
●夢の内容と解釈
今日もハードな内容でした。何かルールに従って、やむなく人を絞め殺す私。三人ほど。最後は死にゆく相手に大丈夫だ、とか、あなたは悪くない、とか。仕方がないという気持ちが過ぎると、いや私は許されたいわけじゃない、と思ってみたり。
そういえば、こういう夢を繰り返して見ている、という感覚を夢の中で。が、実際にはそういう夢を今までに何度も見たというような記憶はない。
はてさて。今回はなんか厄介ですぞ。わかりません。
殺すとか殺されるとか死ぬとかは、自己とか人としての変革の時だったりというのは有名な話で。しっかし三人ほどやっちゃってますよ。なので必ずしも変革というだけではなさそう。
行動と、それに対する罪悪感。……これかなあ。罪悪感を感じるようなことは…イタしてることとか、うまくいかん物事・人に影ながら毒づいていることとか。まあ、それに至るまでのあれこれが、ちょっとしんどくて黒くて哀しいんですが。
にしても、思うことはあるですねえ。どんなルールでも、良くないと思ったら縛られずにノーと言うことは、今なら出来ると思うし、めっちゃ許されたいのに無理しちゃって。そういうところが選択的に不注意となっているのには意味があると思うので、行動を完遂してしまうところに意味があるのかな。
とはいえ、最後の人はうまくやれずに時間かかったり(首が手から逃れるみたいな。相手は怯えながらも仕方ないと知っているので意図して逃げたわけではない)、なぜか吐血を浴びたり。うー、重たい。
夢から覚めたときは気分は最悪。人を木津点けてしまうってのは、下手をすれば木津点けられるよりしんどい。そういう行動を取ってしまう人がいることを、そういうしんどいことをやるように突き動かされてしまった事を見ないでは考えるべきでない……なんて他人の話に曲げて逃げてますねー。逃げるのも別にいいんだけど。しんどいし。
にしても、夢を本当に繰り返して見ていて、私が記憶していないのか。あるいは繰り返して見ているという情報を付け加えることで何かを表現しているのか。重要であるとか、長い間解決していない問題であるとか、そういうことかな…。ただ、私の無意識も、私の厄介な精神のありかたをある程度?理解している節があるので、それを加味して作られた表現だとすると非常に難しい。
気分はそう、言葉の通じない相手とジェスチャーで意志を交換するのに似ているなあ。あー、これわかりやすいかも。
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